何が怒涛なんだ!
やっぱり占いは信じないことにした。
別に信じてるから救われるとか、信じてないから幸せが訪れないとかそういうことではないのはもちろんだけれど、如何せん今日の占いの内容に強い疑問を抱いたのだ。
水瓶座であるオレは、メッセンジャーのアラートで自分の星座の今日の運勢が出るように設定していた。もし前向きなお告げが出れば信じよう、といった軽い気持ちで。忠告などがでれば少しだけ気にして、恐らく狂信的な信者ではない人たちのほとんどがそうであろう、自分に都合のいい占いの信じ方をしていた。
そんな今日。昨日遅くまで起きていてしまったオレは、案の定朝起きることができず、昼過ぎまで完全に熟睡してしまった。疲れが取れず節々が痛む体を起こして、つけっぱのPCの画面に見入る。点滅するメッセウィンドウの画面に視線をやってから少しして、メッセンジャーのアラートが配信された。
「今日の水瓶座の運勢:目が回るほど多忙を極める暗示。気楽に構えること」
この言葉に、相手の状況がわかるはずのない一方的な配信というものは、どうとでも取れるような内容なのだと気づかされた。我ながらなんて遅いのだ。
頭の中で一瞬にして、暗示だから場合によってはそうはならないのか、とか、気楽に構えて果たして多忙を乗り切ることができるのか、とか、気楽なのはいつものことだ、とか、もう半日終わったオレに多忙なんてあるのか、とか、むしろ多忙を見せてくれよ、とか、もはやそのような程度ではなくて空から女の子が降ってくるぐらいのことを書いてくれ、なんてことが浮かんでは消え、占いをどうとればいいのか悩んだ。
確かに目は回ってきた。
そう、自分もよく、なんとかなる、なんとかする、とか、相手を選ばずに使えるような、そんな曖昧な言葉を使ってしまう傾向にあるので気をつけなければ、という結論。いや、割と意識して曖昧な言葉を使っているかもしれない。もしそうだとしたらやはり人間性が疑われるのだろうか。占いと同程度のアドバイスなんてしたくはないのだけれど。
そして、不特定多数向けの占い配信などという陳腐なものに少なからず影響されていた自分が悲しい。これからは『幸せが待っていそうな予感』などという文句を見ても、にやけないようにしようと思う。オレはそんなに単純ではないのだ。
まぁ、とりあえず気楽に構えよう。