こうクリエイティブな何か、をさ。

 多分誰しもが「自分に才能さえあれば」のようなことは思ったことがあるに違いない。たとえ自分がそんな才能を一切持ち合わせていないと自覚していてもなお、そう思ったとしても不思議ではないと思う。何を作りたいというのは意外と次元の低い低位な欲求なのではないかと最近思うようになった。この場合の低位というのは三大欲求を一番下として。


 例に漏れず、自分も何からかはわからないが創造意欲を掻き立てられ、それが満たされずに悶々とした時間を過ごしている。文字を書くことで多少はまぎれるものの、そう簡単に発散できるでもないらしく、厄介である。それこそ自分にもっと文才があれば、などということを考えてしまう。結局のところ、自分が思い描くものと自分が作り出せうるものの差を自覚しているからこそ、悶々とするのだろう。その辺りが一般人とクリエーターの違いなのかも知れない。たとえ始めたばかりで才能を感じられなくても、黙々と取り組み続ける努力で報われる人もいるだろう。逆に言えばそれこそクリエーターたる才能かもしれないし、要はうだうだと「やりたい」「作りたい」などとほざいて何もしないヤツは一般だということだ。もちろん、それは自分も含めて。


 恐らくこの創造意欲はれっきとした形を残さない限り、ずっと襲い掛かってきそうだ。今はサウンドノベルを作るのとバンドを再活動させる話が丁度まとまったところなのだが、これ以上何をいっぺんにやれというのか。ただでさえ予定は一杯一杯で人に迷惑をかけているというのに、この自分の強欲さときたら。


 二兎を追うもの一兎も得ず、オレの大脳辺縁系はそんな簡単なことも理解できないらしい。


人の夢が儚いのか、ただ現実が厳しいのか

 やっと休日。休める日が休日。


 休めると言っても自分の家では何だか落ち着かない。寝転がってPCに向かうから腰は痛くなるし、家族の活動時間が違いすぎて睡眠が邪魔されるし、そもそも家族と暮らすのが……。青二才の戯言と言われても仕方ないけれど、実際問題自分の親の馬鹿さ加減にはほとほと呆れ返るばかりで。親の背中を見て育つ、あれ、父親の背中を見てだっけか、育つと言ったりするようなしないような気がするけれど、ウチの場合は反面教師だ。見てて子供として悲しくなってしまう。そんな父親を見て嘆くしかの能のない母親も母親でお里が知れる。オレのお里も知れる。



 ここのところ少し忙しい生活をしていて気にする暇がなかったけれど、メガネをかけたら自分の家の汚さに気づいた、の様な感じ。忙しい忙しい言って実際何してるかと言えば、友人と遊んだりバイトだったりイベントに参加したりと何だか大学生と言ったことばかりで、ほとんど自分自身の為のことと言うか将来の為のことはできていなかったりもする。楽しいことばかりしていると時間があっという間に過ぎていくし、何かを得たかのような気になってしまうから本当はそんな短絡的で快楽主義な生き方はまだしたくないのだけれど、流されやすい自分は簡単になびいてしまう。



 夢、いつかはそんなものもあったなぁ、などと言ってそうな人間にちょっとしたらなってしまうような気がする。まさに親父とか母親とかね。自分ももう少し気を引き締めるべきかしら、と家に久しぶりに長くいて気づいた。

走った

 信号を渡ろうとすると、サイレンと共に消防車が走ってきた。
「通行人の方、ちょっと止まってくださーい」


 そう言って先を越された。
 こんなときに。通り過ぎるとオレも走った。急がなければ。


 閑静な住宅街のこと、消防車が来ようものなら家にいるおじいさんおばあさんが、何事かとわらわら出てくるのがどうやら普通のようだ。
 そう思っているそばから目の前のドアが開き、おばあさんが出てきて通り過ぎていった消防車を見た。タイミングが良かったことで見つめてしまったらしく声をかけられた。
「どこへ行くの?」


 彼女は走っているオレに問うが、真意を量りきれずに戸惑ってしまった。関係者だとでも勘違いしたのだろうか。
「あ、え……関係ないっす」
 走りながら答えた。その間一秒強。


「Oh, I'm late. I'm late.」
 心の中で呟きながら走った。


 オレはバイトに遅刻しそうになって走った。

アンインストール

 やばい、やばい。
 音の力というか音楽の力はやはりすごくて、簡単に人の感情を操れるのだなぁと実感した。どうもこの曲は自分に対してすごい中毒性があるようで二時間以上聞き続けてしまった。
 歌詞の意味を深く考えているわけではないのに、曲感で鬱気味になってくる。
 
 あれ、これはいいことなのだろうか。とほほ。
 「ぼくらの」を見たいと少しだけ思った。


 アンインストール/石川智晶
http://www.nicovideo.jp/watch/sm320563

夢を見た。

 特に意味はない。夢に意味はない。


 覚えているのは、目の前に見るからに怪しい液体が入った容器が置いてあり、どうやら手を突っ込まなければならないという強迫観念にまず囚われたことだ。
 はて、その通りにすると、どんな原理か手に網目状の細かい傷がついた。少しするとその傷から病原菌が入ったかのように手が腫れてきて、ミニチュアボンレスハムのように手がパンパンになった。それが破傷風なのだと理解できた。夢だから。
 いまどき霜焼けなんて経験した人は少ないかも知れないけれど、全く同じような痛みと痒みが手を襲い、自分はもんどりうった。


 ふと気づくとまた別の容器が置いてあることに気がついた。
 手を入れて浸せるような浅く広い先と似たような容器の中には、スポンジらしき物体が緑色の液体に浸って入っていた。自分にはそれがリステリンにしか見えなかった。いや、確信した。夢だから。
 頭の中ではリステリン=殺菌という等号が成立していて、全く間を置かずに自分は99%の殺菌力に賭けることに決めた。


 手を入れてから、それが恐らく染みるだろうという当たり前の予想が立ったが遅かった。痛みが倍増したような感覚だった。霜焼けと同じように「痛気持ちいい」というのだろうか、血行が良くなる感覚と同じ状況になって、痛みを感じつつも手に刺激を与えることを止められず、一生懸命に揉んでしまった。


 いつの間にか直ったのか腫れも痒みも痛みも引き、元通りになったように見える手を掲げて、この夢に果たしてどんな意味があるのか、なぜ見たのかを少しの間考えた。


 やはり最初の結論にたどり着いた。

懐かしい

 懐かしい人にばったり会った時に自然な反応、もしくは違和感を感じさせない反応を見せる人に憧れる。不意を突かれたときに現れがちな、相手をどう思っているかという内心をひた隠しにして笑みを浮かべるその狡猾さに痺れるのだ。
 自分なんかは懐かしさの余り興奮してしまって、ついへまをやらかすか、もしくは人見知りな部分が出て不自然な反応をしてしまいがちだ。


 話が盛り上がってそろそろ解散しますかとなって、今度はメールすると言ったはいいものの、携帯が料金未納で止まっていることを思い出した。色々な人に迷惑はかけているかもしれないけれど、面と向かって言われなければ構わない範囲だろうと勝手に決め付けている。多分あいつもメールを少ししてそのうち連絡を取らなくなる人の内の一人になるのだろう。携帯が止まっているから連絡の取りようも今はないし。


 金の切れ目が縁の切れ目。あと違う。

やっぱりどうして

日付感覚がないのだろう。手帳に書く癖と見る癖はなかなかつくものではないらしい。もしかしてもしかすると神経系の問題かも知れない。

あまり考えたくない。

AmazonGoogleなんだよなぁ。それにはさすがとしか言いようがなく。

どうしてもプログラムは必要で、時間と引き換えにするしかないと。英語も同じくして時間ばかり足りない。

何をしても時間の無駄に感じてしまって、結局何も出来ずにいる。